| 去年の夏、或るメーカーさんの協賛を得て、日本全国で技術セミナーを開催して回る、というイベントをやったお陰で、1年以上も経った今でも、全国のあちこちからメールを頂戴します。本当に嬉しいことです。 頂いたメールの殆どが「感動した」「幸せになれました」といった内容で、私のセミナーの中身を知らない人がこれを聞いたら「なんで技術セミナーで感動するの?」と思われてしまうでしょう。 私も別に感動してもらおうとしてセミナーをやってる訳ではないのですが、それで感動して下さった方々が全国各地に大勢いらっしゃる、というところに、現在のPAや舞台音響の現場の問題点が見えてくるんだと思います。 技術は進歩し、機材は発展成熟を遂げています。 現場のノウハウは先人から後輩へ、蓄積されながら受け継がれています。 それでどうして問題が起きるんでしょう? どんな問題が起きているんでしょう? 一つには、出演者(役者さん、歌手、ミュージシャン等)からの、音響さんへの不信感に近い嫌悪感です。もう一つは、同じスタッフ(舞台さん、照明さん)からの音響さんへの不信感です。 「あいつら、俺達の演奏した音楽をを勝手に歪めて『俺の音は』なんて言ってる。お前の音じゃないだろう俺の音楽だろう」と、こうハッキリ明言するミュージシャンもいますし、ここまでいかなくてもこれに近い空気が漂っている現場は沢山あります。 長年、大規模なコンサートの音響をずっと手掛けていらっしゃった方も、こういう現状は認めていらっしゃっていて、御自分の現場でも、何とかうまくやっていけるように、いろいろと御苦労なされたことを伺いました。 スタッフから聞かれる声はいつも同じです。 「まったく、音響さんは音響のことしか考えてねぇからよ!」と吐き捨てるように言っています。 別に私が言われている訳ではなく、他の人のことなのですが、聞く度に悲しい思いをします。 こういう現状が技術やテクニックで解決がつけられていない、ということは、技術やテクニックを伝授している場合じゃない何かもっと重要な要素が欠けている、ということです。 原因はハッキリしています。「テクニック・ノウハウ依存症」です。ですから私は自分のセミナーで「まず一度、自分の中にあるテクニックを忘れましょう」と、テクニックを否定することから始めたのです。 私達が先人から真に受け継ぐべきは何でしょう? 音響という、舞台や照明に比べてさして長くもない歴史の中で、先人達は手探りで現場をなさってきました。その時に、例えばマイクの立て方、例えばミキシング、例えばイコライジング、なにをよすがに、何を心の支えに決めていらしたのか。 演奏される音楽や声などの『音』がある。それを耳にする『お客様』『スタッフ』がいる。そしてその間に『自分』がいる。これら皆にとって、この時この場限りでは、どうしたら皆にとって一番幸せだろうか。何が一番良い結果になるのだろうか。それを考えさえすれば、『その時その場限りの』正解のテクニックは自ずから見えてきます。 私達が先人から真に受け継ぐべきは、正にこの「思いやり」の気持ちなのです。 そして、その「思いやり」を「テクニック」に具現化するには、一にも二にも「コミュニケーション」です。 出演者と、スタッフと、懸命に思いやりながらコミュニケーションを取り続けていれば、今この手にあるマイクを、どうセッティングしたら皆にとって一番幸せか、さしてキャリアを積んでいない音響さんでも、自然に見えてきます。 その集積が「ノウハウ」と呼ばれていく筈のものであるべきです。 逆に「ドラムにはこう」「イコライジングはこう」と、ノウハウの鎧でガチガチに武装して人を寄せ付けないオーラをビンビン発散しているのは本末転倒です。 音響の現場が冒頭に述べたような問題を抱えている現在、「何を教わらなければならないのか」「何を伝えなければならないのか」を見直す必要があります。大変失礼な言い方になりますが、先人は後進を厳しく見ますが、後進はそれ以上に厳しく先人を判別するのです。私もそう見て、そう見られています。 音響は演出です。演出のされていない音響は音響ではなく、ただの音です。 演出とは思いやりです。 音響とは、音で人を思いやることです。 音は人を幸せにできます。 音で人が殺されることもあります。 実際に命が奪われなくても肉体に大きなダメージを与えたり、心が死んでしまうことは幾らでもあります。 私たち、音を扱い、音を操る立場の人間は、その影響力の大きさに常に畏れを抱くべきです。 そして願わくば、自分の出す音で 一人でも幸せになったり、いい気持ちになったり、楽しくなったりしてほしい。 これが音響の 始まりであり、全てであります。 アルファでありオメガであります。 |