言葉の始まり

ヒトは昔、サルだった訳ですから、初めは自分で意識せずに、アーだのウーだの言っていた訳です。それがある日、息を吐きながら咽喉に力を入れると、自分の思ったようにいろんな音が出せる事に気づきます。そして喜んで、感情にまかせて咽喉で音を出すようになりました。

この時点では声はまだ音であり言葉ではありません。

つまり言葉は、文字ではなく意味でもなく音として捉えるのが正解です。

そしてヒトは、世界中に散らばっても、同じ種族の動物ですから、動物としての意志表現行動は同じ行動をとります。

肯定の場合は、対象物に正対し顔を近付けます。サルの行動を思い出してください。「うー」と言いながらその行動をしてみてください。筋肉運動は声帯を圧迫し、「うんうんうん」という音になります。

否定の場合は、対象物から顔をそむけます。「うー」と言いながらその行動をしてみてください。筋肉運動は声帯を圧迫し、「うううううう」という音になります。

これがもっとも原始の言葉です。日本語で言うところの「うん」と「ううん」です。

この「うん」と「ううん」は世界共通です。世界中の小児マヒや筋ジストロフィーの患者はこれを言います。この「うん」と「ううん」をそれぞれの国でどう文字に置き換えるかは知りませんが、日本では「うん」と「ううん」です。

その後何千年もかけて、言語が成立し、それぞれの人の住む地域の気候や特性によって言葉は独自性を持つようになりましたが、どこの国でも「はい」と「いいえ」は殆ど2つの音で出来ています。それはさっき試したように、肯定と否定は首の前後もしくは左右への反復運動であり、反復である以上、2つの音で成立する訳です。

(英語はイエに口を閉じる時の息をもらす無声音がついてイエスとノー、ロシア語はダーとニエッ、フランス語はウイとノン、ドイツ語はヤーとネイン、イタリア語はシーとノ、)

それにしても世界中のどこで生まれようと、生まれたばかりの赤ん坊でも、肯定は首を縦に振り、否定は首を横に振る、というのは、種族としてDNAに記録された情報であるという証明であり、人間はみな同じだ、という一番の証拠であります。

そして、その後言葉として音が成長をしていく過程においても、遠くへ呼びかけるに相応しい言葉は、大きな声で言う時によく伝わるように、ささやくようにいう言葉は、ささやくと一番美しく聞こえるように成立しています。

愛してる、という言語はその一番いい例です。

(日本語→愛してる、英語→アイラヴユー、フランス語→ジュテーム、ラテン語→

テ・アモ、ロシア語→ヤールヴリュー)

言葉と音楽

さて、本来同一生物である人間は、手に入れた言葉を発展させていく上で、生息している地域の気候や特性に影響を受けていきます。例えば、極寒の地の言葉、ロシア語は、あまり口を開けなくても話せる言葉になっています。それは日本の東北地方の方言にも似たような特長が見られ、言語の成立と成立した地方の気候は関係があることが分かります。

そして、音楽というものが誕生してくるときにも、この言語の影響を強く受けることになります。

分かりやすく、日本とヨーロッパの比較をしましょう。

隔離された土地に、単一言語が広まった日本と、地続きの、しかもさほど広くもない土地に、沢山の言語がひしめくことになったヨーロッパ。

言語の役割は微妙に変わってきます。

日本は、言語数が増えていきます。言語数の増加に人間が対応できるからです。全員が同じ言語を使っているのですからアっというまに広まります。ここでは通じるけどここでは通じない、ということが起きてきません。それでも人間の移動スピードの遅かった昔は、方言というものが発生しました。方言の境界線は山脈に影響を受けています。(ついでに言えば、ヨーロッパの言語の類似性も、山脈によって区分されます)

移動スピードが加速するにつれて同一言語を使う様になるので、現代では方言はイントネーションに名残を残している程度になりました。今後は世界同一言語へ向けて自然に勢いがついていくでしょう。

話がそれましたが、言語数が増えていくことを言語の発酵と呼ぶことにします。

それはつまり、1つの事象に対して複数の言葉が存在する状態です。

一方ヨーロッパでは、山一つ越えれば違う言語が存在してしまいます。そんな状況の中では、言語は記号としての役割しか果たせません。報告や説明、意志表現までが精一杯で、感情の細やかな表現までは、例え一つの言語の中で成熟したとしても、あまり意味をなさなかった訳です、ヨーロッパという土地では。

そこに音楽が登場します。メロディーが感情の伝達手段になりました。

一方、日本では、音楽は言語の合いの手、言語を心地好く聞かせるテンポ、リズム、間を扱うものとして発展したのです。

日本とヨーロッパの音楽のスタートは、そもそもこれほどまでにかけ離れていたのです。

余談になりますが、気候、風土の音楽に与える影響についてもう一つお話ししておきましょう。

日本の音楽は弱音楽器で演奏されます。ホールなどで響かせて聴くものがありません。

これは、住環境の違いです。日本は木と紙の家、ヨーロッパは石の家。

でも勘違いしてはいけません。日本が石の家を造れなかったのではなく、ヨーロッパが、木の家を造れなかったから仕方なく石の家を造ったのです。

ヨーロッパには、低くて幹の細い木が多く、住居を造るのに不向きだったのです。

そうでなければ、誰も好き好んでわざわざ木より大変な石の家を造ったりしません。

現に、ドイツやロシアなど、中部から北部の、木材資源の豊富な地方では、昔から木の家が造られてきました。

ヨーロッパの音楽の発祥の地となった中部より南西に、住居に適した木材資源がなかった、ということです。

西洋音楽の本質に迫るには、世界地図を開いて森林分布図を調べることも必要なのです。

音を受けとめる脳

さて、このような発展のしかたをした日本とヨーロッパの人間の脳は、当然、音に対する働き方も違いが現れてきます。

日本語は、韓国語とトルコ語、あともう一つ、アフリカにある一言語の合計4つで、文法として、主語の次にすぐ動詞がこない、間に形容詞や目的語をはさんで、助詞でつなぐ世界でもめずらしい言語を持つ国ですが、上の図のように、他の国の人間は母音を音楽脳で、子音を言語脳で聞くのに対し、日本人だけが母音も子音も言語脳で聞くという、つまり言語に関して日本人は世界でも全く特殊な国です。

日本には擬音語が大変多い、というのもそのせいです。一度耳に入って来た音から、母音成分と子音成分を抽出し、それを言語脳に取り込んで、言語に置き換える作業を日本人の脳は行うのです。外国語の歌を聞いていても、ある部分が全く意味の違う日本語に聞こえる、というのも、日本人の脳のこういう働きによるものです。

江戸時代の日本人が、英語を憶える時に、How muchを浜千鳥と聞いたのも同じ理由です。

イタリア語は、母音成分の多い言語で、外国人は母音成分を音楽脳で聞くので、ベルカント唱法は外国人の脳にとっては演奏のひとつとして成立しましたが、日本人の脳にはこれは全くの言語で、演奏として脳が受け取ることはありません。

ベルカント唱法の特性や長所とは全く関係なく、この唱法を用いて公演を行う時、世界中の他の国と日本とでは、聴くお客さん側の方にそういう特殊な特性の差があり、本来の聴かれ方、受け止め方はしてもらえないのです。

ベルカント唱法を用いて、日本で唄う人は、そういう日本人の脳みその働き方を考慮に入れて、他の国とは違う方法を構築しないと、ベルカント唱法の味わいや良さを伝えることが出来ないばかりか、唄う意味すらなくなってしまうのです。

また日本人は、鳥や虫の声を聞いて、それに特定の意味や特定の感情を持つことが出来ます。これは日本人の音に対しての大きな財産です。

「静けさや 岩にしみ入る 蝉の声」というような感性は日本人のものです。

例えば舞台が明るくなって、舞台上に何もなくても、コオロギや鈴虫の鳴き声がしていたら日本人はこれから始まる場面は秋で、夜で、静かな、穏やかな情景だと分かります。

ところが外国人にはこういう受けとめ方はしてもらえません。

虫の声だ、という認識はしますが、そこに特定の意味や感情を盛り込むということは殆どありません。ウイーンのシュターツオパーの音響チーフが日本に来て、ホテルへ遊びに行った時、丁度11月で、ホテルの庭では鈴虫が鳴いていました。それはホテルの秋を演出するサービスで、庭に鈴虫を放ったのですが、その音響チーフは「あのノイズをとめてほしい」と言いました。日本人と外国人は、これほど音の受けとめ方が違います。

耳に入って来た音を、これは言葉だな、と判断して抽出する部分が、日本人は理論脳にだけあり、よって日本人は左脳が発達しているのです。それに対し、抽出された言語が理論脳にも感覚脳にも振り分けられるのが外国人で、よく日本人は外国人に比べて理論、科学の分野で進んでいるが感性の面で弱い、と言われる遠因がこんなところにあります。

私達は良くも悪くも日本人として生まれてきました。ならば日本人の持てる武器を使うのが一番でしょう。

余談ですが、ロシア人の自慢話に「フランス語は文学を語るに相応しく、ドイツ語は哲学を語るに相応しい。ギリシャ語は神を語るに相応しく、イタリア語は愛を語るに相応しい。ではロシア語は?そのどれにも相応しい。」というのがあります。この話から、ロシアのヨーロッパコンプレックスと、ロシア文化がまるで日本のように、各国の文化を取り入れては自国で醗酵させて出来たものだということが分かります。ロシア人にとって、ロシアとは、「ヨーロッパの辺境」なのか、「ヨーロッパとアジアの中心」なのか、ということは、何千年にもわたって自問自答してきた、答えのない問いなのです。これがロシアの音楽にも、文学、演劇、バレエにも、大きく影響を与えています。これを考慮せずに、ロシアの芸術に触れても、なんの意味もありません。

言葉と声

さて、音として言葉を捉える時、大きな影響を及ぼすのは、声です。

人の声は、低いほうは50ヘルツ位から、高いほうは6000ヘルツ位まで成分を持っています。

ヘルツというのは1秒間に何回音波が空気を振動させるかという回数、デシベルというのは音圧です。

どんな人間でもみんな持っている声の周波数帯は、800ヘルツから4000ヘルツです。

ですから、いい音かどうかを考えずに、確実に何を言っているかを伝える必要のある電話の声は、この周波数帯で高低をカットしています。

子音は母音よりも音圧レベルが3〜4デシベル高いので、母音と子音の組み合わせで成立する日本語は、子音だけでも成立する外国語に比べて、4〜6デシベル大きく話さなければ、外国語と同じ明瞭度が得られません。通常、音圧が3デシベル上がると、聴感上は倍になったように感じるので、6デシベルというと相当大きく感じられます。

これで、携帯電話で日本語を話すということが、外国語に比べてどれだけ回りに迷惑かということがお分かり頂けます。

人間の耳は、140デシベルという音圧を受けると、瞬時に聴覚細胞が破壊されてしまいます。

また、110デシベルの音圧を連続して15分間受けていると、同じように聴覚細胞が破壊されて行きます。

然るに、ウオークマンは最大90デシベルまで出してしまいます。

これは、普通低音は耳で聞くものではなく体で感じるものであるのに、ウオークマンの場合は、無理矢理耳に、低音の迫力を与えようとするからです。

普段の、ウオークマンの使用にくれぐれも注意してください。

誰もが聞いているのに意識しない音、というものがあります。

地球の自転の音です。地球上の生物には、耳に入ってきた音のうち、無意識のうちにフィルターをかけて聞かなかったことにしてしまう音があると言われています。

地球の自転の音もそうです。実際には耳で聞き、体で感じているのですが、私達はそれを意識していません。

人間が他の星へ行き、その星に住む、といった未来の話がありますが、宇宙服やヘルメットを取った時に、その星の自転の音が聞こえる、感じる、といった現象にぶつかります。それが人間にどのような影響を与えるのか、狂ってしまうのか具合が悪くなったり子供が出来なくなったり、音が人間に与える影響はとても大きいのです。

ネズミ退治に使われる音は約30000ヘルツ、人間の耳には聞こえない音とされています。しかし体でちゃんと感じています。コンピュータが発する高周波は約30000〜35000ヘルツで、この高周波により頭痛、吐き気を催すOAシンドロームが職業病として注目されています。

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